私たち映像サーベイヤーズは、志子田、高野の2人は映像を撮っていますが、私(吉田)は、自分で映像を撮ったことがありません。震災後、電気が通じるようになってから見た震災に関する映像の中には、ぐっと見入ってしまったもの、見ていて嫌な気持になったもの、様々なものがあり、自分の反応に自分自身でとまどうことが度々ありました。そんな中、映像を撮る2人と話して、被災地にカメラを向ける側にも、「撮影してよいものか」など私が抱いたのと同じようなモヤモヤとしたとまどいがあることがわかりました。
それをきっかけに「震災後に映像と接する中で感じたことを、もっといろいろな人と話し合ってみたい」という思いが生まれ、第1回目のテーマが決まりました。
当日は、『東北放送の震災発生直後のニュース映像、報道映像』(5分)
『ルート45』(5分)
『仙台のがれき撤去』(10分)
『あいだのことば』(10分)
の順番で映像を流し、上映の間に参加者で話す時間を設けました。
前半の3本を流したところで、一度話す時間を作ったのですが、最初は少し緊張気味の雰囲気だったものの、八戸市~釜石市の国道45号線と沿岸部県道を走る車載映像『ルート45』と、昨年7月に陸前高田市で撮影されたフィクション作品『測量技師たち』の撮影のきっかけなどから話が徐々に広がっていき、次第に参加者が日頃被災地に対して思っていることなどの個人的な気持ちを交えた感想が聞こえるようになりました。
後半は、仙台市のがれき処理場を撮影した『仙台のがれき撤去』と、被災地に住む人たちのインタビュー映像で構成された『あいだのことば』の冒頭の一部分を続けて流し、ゲストとして参加いただいた『あいだのことば』の監督小森はるかさんにも、撮影の経緯などをお聞きしました。
『あいだのことば』は、撮影者とインタビューを受ける人の間に独特な親密さがあり、どこかほのぼのした感すらあるドキュメンタリーで、その被災地との距離感に興味を持って今回取り上げることにしました。この映像に出ているのは、小森さんの友達の親戚の親戚など何らかのつながりがある方たちで、そもそもの撮影の動機が、その人たちが無事であることや生活の様子を現地に行けない人に知らせるためだったということです。しかし、インタビューを続けていくうちに、話している人たちの感情や話すことの変化に触れて、次第に「この言葉をちゃんと留めておこう」とカメラを向ける意識も変わっていったとのことでした。
今回は、「仙台に住んでいるが被災はしていない」「震災の時には東京にいた」「阪神地区の出身で阪神大震災のときには大阪に住んでいた」など自身の背景を前置きに話す方が多く、震災後置かれている状況や日々感じていることは、人によって本当に違うものだと改めて実感する場でもありました。それでも、映像を撮った側と見る側両方から、真摯で率直な言葉が交わされたことで、震災から1年半経過した「今」をじっくりと見つめ直す貴重な時間になったのではないかと思います。
(吉田)
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